世界大百科事典(旧版)内の日本軟式庭球連盟の言及
【ソフトテニス】より
…しかしながら,依然として社会人クラブや学校,女子のクラブを基盤としてソフトテニスは発展し,それらが結集して22年に〈東京軟球協会〉が設立され,ソフトテニス界の全国的統合への機運が高まった。2年後,〈日本軟球協会〉と改称したが,ルールの解釈をめぐる対立から,別個に〈全日本軟式庭球連盟〉が組織され,2本立ての軟式庭球規則による試合が行われるなどの混乱もあった。33年両者は〈日本軟式庭球連盟〉として統一され,34年の伊勢神宮大会には日本全土はもとより遠く台湾,朝鮮,満州,青島,樺太などの代表選手が集まり,中学校,女学校,大学高専,一般男女の選手権,男子中学,一般の府県対抗,大学高専の東西対抗,全日本OBの9種目に1664人の参加をみるという華々しさであった。…
※「日本軟式庭球連盟」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」