日独伊ソ四国協商(読み)にちどくいそよんこくきょうしょう

世界大百科事典(旧版)内の日独伊ソ四国協商の言及

【日ソ中立条約】より

…外相松岡洋右,駐ソ特命全権大使建川美次とソビエト外務人民委員V.M.モロトフとがモスクワで調印した。1940年7月に成立した第2次近衛文麿内閣の松岡外相は,第2次世界大戦が独伊の枢軸側に有利に展開しているうちに日独伊三国同盟を結び,ついでドイツのあっせんによって日独伊ソ四国協商を成立させ,四国協商の圧力でアメリカにアジアから手を引かせて日中戦争を解決し,同時に南進政策を有利にすすめるという独特の構想をいだいていた。この松岡構想にもとづき,同年9月27日日本は日独伊三国同盟に調印し,10月30日には不可侵条約の締結をソビエトに申し入れたが,日本が当時保有していた北部サハリン(樺太)の石油・石炭利権解消問題をめぐって交渉は難航した。…

※「日独伊ソ四国協商」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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