日田商人(読み)ひたしょうにん

世界大百科事典(旧版)内の日田商人の言及

【日田[市]】より

…淡窓は近代教育の原型ともいうべき手法を用い,全国から集まった4600余人の門人を育て,高野長英,大村益次郎,長三洲など逸材が輩出している。明治以降,天領日田の威光は急速にすたれ,日田商人の威勢も失われていった。【豊田 寛三】。…

【豊後国】より

… 農産物では,初期では木綿栽培がかなり行われているが,17世紀中葉に導入されたシチトウイ(七島藺)は別府湾沿岸の国東,速見,大分郡地方で普及し,農家の貴重な現銀収入源として文字どおり豊後の国産品となっている。また,ハゼ(櫨)は18世紀にはいって日田郡地方を中心にひろく栽培され,日田商人の活動の一助となっている。 日田商人は,豆田町に置かれた代官所と結びつき,九州各地の大名や村々への金融を行い,日田金(ひたがね)と称された。…

※「日田商人」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」