世界大百科事典(旧版)内の日野流の言及
【名家】より
…室町時代の有職書《海人藻芥(あまのもくず)》には,〈名家は,日野,勧修寺,平家なり〉と見えるが,すでに《伏見院宸記》にも,〈凡そ日野,勧修寺,平家等の輩,労効に依りて立身起家す〉とあり,鎌倉末期以降ほぼ家格としての名家が成立したことがわかる。日野流諸家は藤原資業を,勧修寺流諸家は藤原為房を実質的な始祖とし,平家は平親信以来〈日記の家〉の声価を高め,みな才識と実務能力をもって摂関家に仕え,その家政を掌握したが,さらに院政時代以降は,院中の庶務を掌理し,室町時代には朝幕間の連絡の衝に当たり,長期にわたって権勢を保持し,繁栄を誇った。しかしその間も,一面では摂関家との主従的な関係を絶ち切れなかったため,公家社会における地位は相対的に低く,鎌倉末・室町期の記録に見える〈名家輩〉の用例には,蔑視的なニュアンスを含んでいる。…
※「日野流」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」