すべて 

早川牧(読み)はやかわのまき

世界大百科事典(旧版)内の早川牧の言及

【早河荘】より

…現在の同市のほぼ南半分くらいを占めていたと思われる。平安時代,1020年(寛仁4)に相模守として下向した貴族大江公資が国司在任中に早川牧として設定した。彼は長暦年間(1037‐40)に他の国の所領とともに早川牧を藤原道長の子の民部卿長家に寄進し,これを本家と仰ぎ,みずからは領家となって子孫に伝えた。…

※「早川牧」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

すべて 

《料理されるためにまないたにのせられた魚の意から》相手のなすに任せるより方法のない運命のたとえ。まないたの鯉こい。[類語]俎板まないたの鯉こい・薬缶やかんで茹ゆでた蛸たこのよう・手も足も出ない...

俎上の魚の用語解説を読む