旭焼(読み)あさひやき

世界大百科事典(旧版)内の旭焼の言及

【ワーグナー】より

…68年,友人に請われ長崎にセッケン工場建設のため来日,やがて有田焼の改良研究をはじめ,九州地方の窯業を指導した。71年上京して大学南校ついで東校で数学,物理,化学を講じ,そのかたわら日本の陶磁器,工芸史を研究,72年オーストリアおよび日本政府(ことに佐野常民)に懇請されてウィーン万国博覧会顧問となり,以来フィラデルフィア万博,また日本の第1回内国勧業博覧会事業を指導し,みずからも旭焼とよぶ美しい陶器を創製するなど,伝統的な工芸技術を基軸としつつ日本の近代産業を起こす道の開拓につとめた。さらに京都府の医学校や舎密局における理化学とその技術の推進,東京大学理学部の応用化学講義担任,農商務省分析課の指導,東京職工学校(現,東京工業大学)の窯業関係技術教育の推進など,その後半生を日本の科学技術と産業発展のためにつくした。…

※「旭焼」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」