世界大百科事典(旧版)内の旭絹織の言及
【化学繊維】より
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[第1次大戦後]
第1次大戦後,外国品の輸入が再開されるや,糸質の優れた輸入糸との競争にあって帝人の人絹糸生産も危機に立たされたが,帝人は久村の2回にわたる外国視察を通じての外国技術の吸収によってこれを打開し,親会社鈴木商店の資金援助をも得て工場規模を急速に拡大した。一方レーヨン糸の用途は,第1次大戦後には組紐から肩掛け,傘地を経て女物の帯地へとしだいに拡大し,22年には,その将来性に着目した日本窒素肥料(日窒)の野口遵が日本綿花の喜多又蔵と協力して資本金100万円(全額払込み)の旭絹織(現,旭化成工業)を設立した。同社は,レーヨン糸メーカーとして国際的に著名なドイツのグランツシュタック社から技術を導入するとともに,資本的にも提携した。…
※「旭絹織」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」