世界大百科事典(旧版)内の映画眼の言及
【ドキュメンタリー映画】より
… ソ連では,1917年の10月革命につづく内戦のなかで,映画は〈文化革命の武器〉として評価され,〈アギトカ(宣伝映画)〉や〈フロニカ(記録映画)〉と呼ばれる短編ドキュメンタリーがつくられた。内戦後の建設の時期を迎えてからは,さらにビクトル・トゥーリン監督のトルキスタン・シベリア鉄道の建設を描いた長編《トゥルクシブ》(1929)がつくられ,ジガ・ベルトフ(1896‐1954)は,〈キノ・グラスKino Glaz(映画眼)〉理論を展開してカメラが写しとる直接的な対象だけを〈真実〉とみなし,そのモンタージュからドキュメンタリーが生まれることを主張した。ベルトフの〈映画眼〉理論はイギリスに大きな影響をあたえ,ドキュメンタリーは生活そのもののなかから選びだせる新しい芸術形式であると考える〈英国ドキュメンタリー〉派が生まれた。…
※「映画眼」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」