世界大百科事典(旧版)内の春闘共闘委員会の言及
【春闘】より
…厳密には,総評,中立労連など春闘共闘委員会(1975年以降は国民春闘共闘会議)に参加する単産の賃上げ闘争を指している(同盟は春闘という用語を拒否して〈賃闘〉とよぶ)が,一般には,毎年春の時期に集中して行われる賃上げ闘争が全体として春闘とよばれる(なお総評は1989年に解散)。
[春闘の始まり]
1950年に総評が結成されて以降,傘下の単産はそれぞれに賃上げの実現をめざして活動を行ったが,大きな成果をあげることができず,とくに53年,54年の時期にかけては賃金闘争はほとんど失敗に終わった。…
【労働運動】より
…このようななかで,総評は,抵抗闘争をふまえた政策転換闘争の必要を説くとともに,〈ヨーロッパ並みの賃金〉を目ざす重化学単産を軸とした春闘の拡大を通じて産業別統一闘争を推進しようと図った。この結果,総評,中立労連で構成する春闘共闘委員会のもとで春闘に加わった組合員の数は,60年の409万人から64年の520万人へと飛躍的に増加した。しかも,この間,春闘方式に批判的な態度をとってきた全労会議系の組合のなかにも春季に賃金闘争を構えるものが増え,事実上春闘の一翼を構成することとなったため,春闘は賃上闘渉の日本的な形式として定着していった。…
※「春闘共闘委員会」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」