世界大百科事典(旧版)内の曲ごまの言及
【独楽】より
… 18~19世紀,ヨーロッパではこまが大流行したが,日本でも元禄年間(1688‐1704)にこまがはやり,さまざまなものが作られ,禁令もたびたび出された。おとなにも盛んに遊ばれてきたこまは,幕末になると,曲ごまを除いて完全に子どもの玩具となり,男子遊びの主流をしめる。しかし,第2次世界大戦を境に急速に衰退し,現在ではその遊事生命をあやぶまれている。…
【松井源水】より
…玄水とも書く。大道芸人,香具師(やし)。昭和期までに17代を数える。松井家の元祖玄長は,越中礪(砺)波(となみ)の出身で,霊薬反魂丹(はんごんたん)を創製し,2代目道三のときに富山袋町に移住して,武田信玄から売薬御免の朱印を受けた。延宝・天和(1673‐84)のころに,4代目玄水が江戸へ出て反魂丹を売りはじめたが,その宣伝,販売のために,箱枕をいろいろと扱う曲芸〈枕返し〉や居合抜きなどを演じた。享保(1716‐36)ごろには,居合抜きのほか曲独楽(きよくごま)(独楽)を演ずるようになり,将軍家重の浅草寺参詣のおりには上覧に供して御成(おなり)御用の符を拝領した。…
【見世物】より
…寺社の境内や盛場で,臨時に小屋掛けして,芸能および種々珍奇なものを見せて入場料をとる興行物のこと。
【日本における見世物の歴史】
見世物は勧進を名目にした絵解き,説経などの大道芸にはじまり,小屋掛けの興行は,放下(ほうか)や蜘舞(くもまい)(軽業(かるわざ))など室町時代にはじまるといってよいが,盛行をきわめたのは江戸時代に入ってからである。京都では四条河原,大坂では道頓堀や難波新地,名古屋では大須,江戸では両国,上野広小路,浅草奥山などで盛んに興行され,明治時代になってからは浅草公園六区や招魂社(現,靖国神社)境内などが興行地として名高かった。…
※「曲ごま」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」