世界大百科事典(旧版)内の《月世界探険》の言及
【サイレント映画】より
… 現実のできごとをカメラで記録し,それをスクリーンに投影する〈動く写真〉,つまり〈実写〉から出発した映画は,初歩的な〈技術〉と〈話術〉を発見しながら各国で各様に発達した。ジョルジュ・メリエスが発見したトリック撮影による荒唐無稽な喜劇や《月世界探険》(1902)がつくられたフランスでは,文学や演劇と結びついて〈文芸映画〉が生まれ,舞台劇を引き写した《ギーズ公の暗殺》(1903),さらにデュマ,ゾラ,ユゴーらの原作から《キーン》,《惨殺者》(ともに1910),《レ・ミゼラブル》(1912),《ジェルミナール》(1913)などがつくられ,また劇作家に脚本を書かせて映画の〈芸術化〉が試みられ,サラ・ベルナール主演の《椿姫》(1911)や《エリザベス女王》(1912)がつくられた。一方,イタリアでは,《クオ・バディス》(1911)をはじめローマ史を背景とした小説や劇の映画化によって徹底したかたちの〈芸術化〉が試みられて〈歴史スペクタクル〉と呼ばれるスタイルをつくりあげ,詩人・小説家ガブリエル・ダンヌンツィオが製作に参加した《カビリア》(1914)は,雄大な自然と歴史的建造物を背景にしたロケーションと移動車による移動撮影によって映画的空間を拡大し,〈歴史スペクタクル〉の頂点を示した。…
※「《月世界探険》」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」