世界大百科事典(旧版)内の月輪陵の言及
【俊芿】より
…この由縁を契機に,こののち幕末まで多くの天皇・女院の陵墓が,泉涌寺の後にある俊芿と四条天皇の廟所に接して営まれた。いわゆる天皇家の月輪(つきのわ)陵である。【藤井 学】。…
【泉涌寺】より
…そして後水尾天皇から天皇家の葬礼が土葬にかわると,それ以後の天皇と女院の遺骸は,四条天皇陵のかたわらに埋葬された。明治以後,宮内省の管轄に移された旧境内の月輪陵や後月輪陵がこれである。こうして,近世には天皇家唯一の菩提寺として幕府の保護も厚く,寺領は1300石余,1668年(寛文8)には徳川家綱によって堂塔伽藍が修理再造され,寺運は安定した。…
※「月輪陵」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」