世界大百科事典(旧版)内の朝日文左衛門の言及
【料理茶屋】より
…大坂では浮瀬(うかむせ)が最も広く知られた店で,京都にも江戸にもこれを称する店があった。《浪華百事談》に〈浮むせの宴席は最ふるきものにして,近年まで衰へながら,新清水寺の北にありしが……〉とあるように,四天王寺西の上町台地の眺望のよい場所にあった料亭で,アワビの貝殻の穴をふさいで7合5勺の酒の入る〈浮瀬〉の名の杯など多くの大杯,奇杯で名を売ったもので,《鸚鵡籠中記(おうむろうちゆうき)》の筆者,尾張藩士朝日文左衛門(1673‐1718)は1712年(正徳2)の大坂出張中の一夜,浮瀬で一杯,ついで〈幾瀬〉という〈うずら貝〉の杯(1.7合入り)を傾けている。茶屋【鈴木 晋一】。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」