世界大百科事典(旧版)内の朝比奈三郎義秀の言及
【安房国】より
…こうして房総の武士は鎌倉幕府の創設に功をたてた。その後和田合戦に際しては,1213年(建保1)和田義盛の三男,朝比奈三郎義秀が鎌倉における父の死に当たり,500騎を船6艘に分乗させ,相模から安房に赴いており,安房は和田氏の拠点になっていた。47年(宝治1)相模の三浦泰村は,北条氏に排斥された前将軍藤原頼経に同情し,北条氏打倒を策して安房・上総の所領から甲冑を相模に運び,宝治合戦を起こして安達景盛に滅ぼされている(《吾妻鏡》)。…
※「朝比奈三郎義秀」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」