世界大百科事典(旧版)内の朝鮮貿易の言及
【対馬島】より
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【近世】
1587年秀吉に服属した後,宗義智(よしとし)は朝鮮外交に奔走した。文禄・慶長の役には全島を挙げて動員されたほか,朝鮮貿易を断たれ,対馬は疲弊した。1605年(慶長10)江戸幕府の下での講和成立後,宗氏は朝鮮外交の実務と貿易の独占を許され,09年己酉(きゆう)約条後通交貿易は再開した。…
【日朝貿易】より
…輸入品は,米,豆,織物類(麻布,綿布など)が多く,ほかにニンジン,花蓆,皮類(トラ,ヒョウなど),種子(松の実,榛子など),あるいは日本側の要請により,大蔵経・仏具・朝鮮本が贈られることがあった。
[対馬島宗氏の独占]
やがて朝鮮貿易の利益に目をつけ,日本からの渡航者が増大したため,応接する朝鮮側の負担が大きくなったので渡航者の制限がはかられるようになり,朝鮮ではとくに地理的に最も近い対馬島の宗氏の特殊権益を認めることによって,統制化を進めていった。1443年(嘉吉3)宗氏との間で歳遣船隻を定約した嘉吉条約(癸亥(きがい)約条),渡航証としての文引(ぶんいん)(図書・文引)の制度強化などがそれである。…
※「朝鮮貿易」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」