世界大百科事典(旧版)内の木庵の言及
【黄檗美術】より
… 絵画の分野では,黄檗画像がまずあげられる。これは,隠元,木庵,即非など,渡来した黄檗高僧の頂相(ちんそう)で,17世紀後半から18世紀にかけおもに長崎で描かれた。伝統的な頂相の手法とは異なり,赤や黄の原色の法衣をまとった真正面向きの像で,その顔には西洋風の陰影を施しきわめて写実的である。…
【三筆】より
…3人を特に三筆と称するようになったのがいつごろか明らかでないが,そう古くにはさかのぼらない。ほかには江戸時代に日本へ渡った黄檗(おうばく)宗の3僧,隠元,木庵(もくあん)(1611‐84),即非(そくひ)(1616‐71。諱は如一(によいち),木庵の法弟)を〈黄檗の三筆〉,また近衛信尹(のぶただ)(号は三藐院(さんみやくいん)),本阿弥光悦,松花堂昭乗を〈寛永の三筆〉と呼ぶが,この呼名もおそらく明治以降であろうといわれ,1730年代(享保年間)には寛永三筆を〈京都三筆〉と呼んでいる。…
※「木庵」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」