木曜会(読み)もくようかい

世界大百科事典(旧版)内の木曜会の言及

【貴族院】より

… もっとも,日露戦争後のいわゆる桂園時代に,政友会は山県閥の貴族院支配に挑戦を試みた。まず第1次西園寺公望内閣の末期に,研究会の指導者堀田正養(子爵)を逓信大臣として入閣させて同会の分裂をはかり,また研究会の勢力外であった男爵議員の掌握をめざして木曜会の千家尊福(男爵)を司法大臣として入閣させた。後者の背景には,日清・日露戦争の結果,軍功などによる男爵の数が増加し,勅選議員と子爵議員を中心とする山県閥の貴族院支配に若干の動揺が生じたという事情があった。…

【夏目漱石】より

…そして漱石を慕って家に出入りする小宮豊隆,森田草平,鈴木三重吉ら教え子を中心とする弟子たちのために木曜日を面会日とした。いわゆる木曜会は06年に始まり,漱石の死の直前まで続き,晩年には芥川竜之介,久米正雄,松岡譲らが加わった。 07年漱石はいっさいの教職を辞めて東京朝日新聞社に入社し,職業作家になった。…

※「木曜会」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」