世界大百科事典(旧版)内の末吉家の言及
【平野郷】より
…摂津国住吉郡の在郷町(現,大阪市平野区)。中世には平等院領杭全荘(くまたのしよう)などがあったが,戦国期に環濠都市として発展,七名家といわれる末吉,土橋(つちはし),三上,成安,辻葩(つじはな)らが年寄として支配した。自治意識が強く,三好氏の代官本庄加賀守の排斥や,織田信長にも堺と連合して抵抗し,その代官蜂屋頼隆の下代排斥を行った。織田政権下では年貢定金納,地下請(じげうけ),市津料(ししんりよう)・陣夫(じんぷ)免除,徳政免除などの特権を認められ,豊臣前期にもその多くが継続された。…
【平野藤次郎】より
…大坂平野郷の豪家末吉の一統で,朱印船貿易家,銀座頭役,それに摂津国平野の代官職を務めた。父は末吉藤右衛門の三男次郎兵衛(長成)といい,その次男が藤次郎(正貞)で姓を平野と改めた。伯父の次男末吉勘兵衛(道勘,利方)家と同様に,徳川家康の信頼を得て活躍した。大坂の陣の功績によって1615年(元和1)大坂堀川一帯の支配を特許されており,さらに翌16年には摂津平野の代官職に任ぜられ,代々世襲した。藤次郎は1601年(慶長6)10人の銀座頭役の一人として銀座経営に当たり,これも世襲され,銀貨幣鋳造の責任者であった。…
※「末吉家」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」