世界大百科事典(旧版)内の本曲(尺八)の言及
【荒木古童】より
…幼年から尺八を好み,14歳で一閑流の横田五柳に師事し,主に外曲を学ぶ。のち尺八修練のため虚無僧となって托鉢中に豊田古童に出会い,師事して本曲を学び,豊田の没後,29歳で古童の名を継いだ。その後さらに琴古流の実力者(4世琴古のあと家元的存在)の久松風陽に師事し,琴古流本曲を学んだ。…
【尺八】より
…しかし18世紀中ごろになると,虚無僧たちの尺八吹奏も音楽的な向上をみせはじめ,表向き禁止といいつつも一般人の尺八吹奏や箏・三味線との合奏もかなり広まった。そのころ江戸の虚無僧の中の尺八指南役だった初世黒沢琴古(きんこ)は,各地の虚無僧寺所伝の尺八曲を収集整理し,編曲して30曲余りの本曲を制定した。これを基に江戸を中心に琴古流と称する芸系(今日まで存続)が生じ,以後,関西その他の地方にもいくつかの流派が生じた。…
※「本曲(尺八)」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」