世界大百科事典(旧版)内の杉山流鍼術の言及
【あんま(按摩)】より
…あんまは中国で発達した療法である。《史記》の扁鵲(へんじやく)伝に書かれている案杌(あんごつ)がこれに相当するというから,この療法は戦国時代(前403‐前221)からあったと考えられる。推拿とか矯摩,按矯などとも呼ばれ,内容は時代によって少しずつ変化したと思われるが,からだの一部を圧したり動かしたりすることによって,血行をよくしたりして,からだの機能を回復させようという,一種の物理療法である。あんまは漢代の医学理論を伝えているといわれる《素問》では経絡の不調によって起こった麻痺をなおす療法として扱われているが,《漢書》では前漢末に《黄帝岐伯按摩》という書があったとされ,神僊(仙)書の部類に入れられている。…
【杉山和一】より
…1685年(貞享2)5代将軍綱吉の病気を鍼術で治し,92年(元禄5)本所一つ目に宅地を与えられ関東総検校に任ぜられた。また幕命で鍼治講習所を開き,多くの門生を養成,その門の三島安一は職を継いで幕府医官となり,江戸近郊および諸国の45ヵ所に講堂を増設して杉山流鍼術を天下にひろめた。【宗田 一】。…
※「杉山流鍼術」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」