李元吉(読み)りげんきつ

世界大百科事典(旧版)内の李元吉の言及

【高祖】より

…武徳年間(618‐626)には群雄平定作戦が成功裡に展開されると同時に,律令制定(武徳7)などの内治が推進された。李淵は度量の大きい人物で,ひろく人材を包容したが,一方,軍隊を掌握する李建成・李世民・李元吉の3子を統制できず,政令が統一しなかった。兄弟間の勢力争いはついに玄武門における李世民の李建成・李元吉殺害事件をみちびいた。…

※「李元吉」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」