世界大百科事典(旧版)内の李国昌の言及
【朱邪赤心】より
…朱邪氏は沙陀突厥の別部で,赤心の父の執宜のときに唐に内属した。赤心は龐勛(ほうくん)の乱(868‐869)を討伐し,その功で大同軍節度使に任じられるとともに,李国昌という姓名を賜った。いったんは唐にそむいたが,黄巣の乱に際しては,子の李克用とともに唐を助け,代北軍節度使に任じられた。…
※「李国昌」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
…朱邪氏は沙陀突厥の別部で,赤心の父の執宜のときに唐に内属した。赤心は龐勛(ほうくん)の乱(868‐869)を討伐し,その功で大同軍節度使に任じられるとともに,李国昌という姓名を賜った。いったんは唐にそむいたが,黄巣の乱に際しては,子の李克用とともに唐を助け,代北軍節度使に任じられた。…
※「李国昌」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
梅雨の季節に入ること。つゆ入り。毎年6月中旬~7月中旬の約1ヵ月間,九州から東北地方は梅雨の季節に入る。これは,北方のオホーツク海高気圧と南方の小笠原高気圧とに挟まれて,揚子江流域から九州,四国,本州...