李延年(読み)りえんねん

世界大百科事典(旧版)内の李延年の言及

【挽歌】より

…起源については諸説があるが,現存最古の作品は,ふつう漢初斉の田横が漢の高祖に仕えるのを恥じて自殺したとき(前202),門人たちが悲しんで作った葬送歌だという。もと1首だったのを,漢の武帝のとき音楽庁長官李延年が薤露(かいろ)と蒿里(こうり)の2曲に分け,前者を王侯貴人の,後者を士大夫庶民の挽歌としたといわれる(晋の崔豹《古今注》)。〈薤(おおにら)の上の露,何ぞ晞(かわ)き易(やす)き,露は晞くも明朝更に復(ま)た落つ,人死して一たび去らば何れの時か帰らん〉(〈薤露〉)とうたうように,2曲はいずれも人の命のはかなさを恨む。…

※「李延年」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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