世界大百科事典(旧版)内の李廷珪の言及
【歙】より
…日本では誤り伝えて〈きゅうけん〉,歙州硯(きゆうじゆうけん)と呼ぶことが多い。また,南唐のころ,この地の墨匠李廷珪らが名墨をつくり,国宝として珍重されたが,徽墨の名声は現在まで,国の内外に喧伝されている。この地はまた,明・清時代の商業界に君臨した新安商人の故郷であるが,歙,休寧の両県からとくに大商人を輩出した。…
※「李廷珪」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
…日本では誤り伝えて〈きゅうけん〉,歙州硯(きゆうじゆうけん)と呼ぶことが多い。また,南唐のころ,この地の墨匠李廷珪らが名墨をつくり,国宝として珍重されたが,徽墨の名声は現在まで,国の内外に喧伝されている。この地はまた,明・清時代の商業界に君臨した新安商人の故郷であるが,歙,休寧の両県からとくに大商人を輩出した。…
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