世界大百科事典(旧版)内の李志常の言及
【丘処機】より
…そしてこの強大な政治権力者を背景にして教団の発展に成功した。彼の旅行記として,同行した弟子李志常が記録した《西遊記》があり,13世紀中央アジアに関する中国側史料として第一等の価値をもつ。たとえばサマルカンドについて,モンゴル侵入までの戸数10万余が,戦乱により4分の1に減ったことが記されている。…
【全真教】より
…この会見の成功により,後の全真教の発展は約束され,丘処機は長春宮にあって全道士を統率する役職に就いた。その後,尹志平,李志常が教団の統率者の地位につき,李志常は元の憲宗時代,老子の〈化胡〉問題(老子化胡説)をめぐって仏教側と論争して敗れ,教勢は一時傾いたと言われる。【砂山 稔】。…
※「李志常」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」