世界大百科事典(旧版)内の村山座の言及
【市村羽左衛門】より
…歌舞伎俳優,市村座座元。羽左衛門の代数は,市村家が興行権を得る以前の村山座座元の2代と羽左衛門の名をつがなかった座元をも加える数え方が一般に行われ,実際に羽左衛門を名のった名義代数とは相違がある。(1)初代 村山座の創始者初世村山又三郎。…
【劇場】より
…
[劇場の常設化]
寛永期には江戸中橋南地のほかに京都四条,大坂道頓堀にも芝居町が形成され,ある程度の様式をそなえた劇場がつくられた。江戸においては中村座を嚆矢(こうし)とし,ついで1633年1月の都伝内による堺町の都座,翌年3月村山又三郎による堺町の村山座(後の市村座),42年3月山村小兵衛による木挽町5丁目の山村座,しばらくおくれて56年(明暦2)河原崎権之助による木挽町5丁目の河原崎座,60年(万治3)4月森田太郎兵衛による木挽町5丁目の森田座(後の守田座)の創業というように,次々に歌舞伎の常設劇場が建設されていった。いずれも舞台間口3間を定式とし,土間席は野天のままで,わずかに舞台部分と桟敷席に屋根が架してあった。…
【村山又三郎】より
…江戸村山座の座元。(1)初世(1605‐52∥慶長10‐承応1) 京都芝居の祖とされる村山又八の次男。…
※「村山座」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」