世界大百科事典(旧版)内の東インド社会民主同盟の言及
【スネーフリート】より
…社会民主労働党員を経て1913年ジャワに渡る。スラバヤで商業新聞の編集に従事したのちスマランに移って〈社会主義伝道家〉として活動,14年に在住オランダ人と東インド社会民主同盟(インドネシア共産党の前身)を結成。当時インドネシアの民族運動の中心はイスラム同盟であったが,彼はセマウンら現地人活動家を使ってイスラム同盟内部で分派工作を行い,社会民主同盟の勢力を拡大してインドネシアにおける社会主義運動の基礎をつくった。…
【セマウン】より
…インドネシア共産党創成期の指導者。東部ジャワに生まれ,鉄道員として働きながら労働組合運動で頭角を現し,1914年イスラム同盟に,翌年には在住オランダ人社会主義者スネーフリートらのつくった東インド社会民主同盟に加わった。当時インドネシアでは,イスラム同盟が民族運動の主流で,社会民主同盟はこれへの浸透を策し,分派活動を通してイスラム同盟の急進化と左派分子の獲得をはかっていたが,セマウンはスネーフリートの一番弟子,インドネシア人社会主義者の草分けとして,この工作の中心を担った。…
※「東インド社会民主同盟」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」