世界大百科事典(旧版)内の東京人造肥料会社の言及
【過リン酸石灰(過燐酸石灰)】より
…1839年にドイツのJ.F.vonリービヒは骨粉を硫酸で処理したものは作物の生育に効果が高いことを確かめ,43年にイギリスのJ.B.ローズはリン鉱石の硫酸処理による過リン酸石灰の製造を開始した。日本においては88年に東京人造肥料会社が東京の釜屋堀において本格的な過リン酸石灰の製造を開始している。その後多くの工場が建設され,昭和の初めには生産量が80万~90万t,1940年には第2次大戦前最高の164万tに達した。…
【肥料工業】より
…一方,化学肥料については過リン酸石灰工業が最も早く発達した。すなわち,1887年に東京人造肥料会社(後,大日本人造肥料。現,日産化学工業)が渋沢栄一らの協力により高峰譲吉によって東京深川に設立され,日本で初めて過リン酸石灰の製造を開始した。…
※「東京人造肥料会社」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」