世界大百科事典(旧版)内の東京市区改正事業の言及
【東京[都]】より
…他方,近代都市をめざして鉄道網も整備され,83年には現東北本線の一部が開業して上野が東北方面への玄関となり,85年には東海道本線との連絡を目的として現山手線の一部が開業,1925年に環状運転されるようになった。市街地改造論や築港問題も政府や東京府関係者の間で検討され,そうした動きは,1888年以降の東京市区改正事業として,道路(鉄道馬車の普及に伴う道路の舗装と拡張),水道(木管水道から鉄管水道への改良)の整備に結びついた。また星亨らの努力の末,1度は衆議院で可決された東京築港案は築地付近案ではなく,芝浦中心案であった。…
【広場】より
…豊臣秀吉による京都改造,江戸の火除地建設,山片蟠桃の大阪の広小路構想,いずれをみても市街地を美的に再編しようとした気配はなく,日本の都市改造はきわめて機能主義的であった。ところが明治に入ってオースマンによるパリ改造を範として東京市区改正事業が計画された。西欧都市の美的な魅力は日本の明治官僚をもとらえたのであるが,財政的な理由などから,計画ははるかに縮小された形でしか実施されなかった。…
※「東京市区改正事業」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」