東国等国司(読み)とうごくとうこくし

世界大百科事典(旧版)内の東国等国司の言及

【東国】より

…それゆえ,畿内の政権は東国を,新たに征服したみずからと異質な地域とみなしていたのである。645年(大化1)蘇我氏を滅ぼした新政府が直ちに〈東国等国司〉をこの地域(北陸を含むか否かをはじめとし諸説あるが,おそらく三河・信濃以東の東海・東山道を中心とする地域)に派遣したのも,東国の支配の成否が政府の存立にかかわる問題だったからである。672年(天武1)の壬申の乱においても,東国の向背は乱を決する意味をもち,大海人皇子(おおあまのおうじ)(のち天武天皇)は美濃に入り,東国の軍勢を動員しえたことによって勝利することができた。…

※「東国等国司」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」