世界大百科事典(旧版)内の東映やくざ映画の言及
【日本映画】より
…しかし,年間製作本数は61年の535本から62年の375本へ下落し,大手映画会社の製作本数が年々減少するなか,62年から小独立プロによる低予算のセックス映画(いわゆる〈ピンク映画〉)がつくられはじめ,まもなく年間200本ほどに急増して,量的には日本映画の大きな一角を占めるに至った。 1960年代のプログラム・ピクチャーでもっとも大きなものは,日活アクション映画と東映やくざ映画である。このうち日活アクション映画からは,井上梅次,舛田利雄,鈴木清順,蔵原惟繕らの監督が輩出した。…
【日本俠客伝】より
…1960年代に隆盛した東映やくざ映画の代表的シリーズの一つで,1964年の《日本俠客伝》から71年の《日本俠客伝・刃(どす)》まで,計11本つくられた。主演は1960年代の東映やくざ映画の代表的スター・高倉健(1931‐ )。…
※「東映やくざ映画」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」