東朝西隆(読み)とうちょうさいりゅう

世界大百科事典(旧版)内の東朝西隆の言及

【日隆】より

…その後,強信と折伏(しやくぶく)で諸国を巡錫し,越中元成寺,敦賀本勝寺,色ヶ浜本隆寺,一乗谷正法寺,河内三井本厳寺,堺顕本(けんぽん)寺,淡路の妙勝寺と妙暁寺(現,妙京寺),兵庫久遠寺,牛窓本蓮寺,備中高松本隆寺,尾道妙宣寺,宇多津本妙寺などを創建あるいは中興し,本能寺教団の基礎を築くとともに,法華宗の教線を北陸・瀬戸内諸国に大きくのばした。またその碩学は当代の学匠身延日朝に比肩され,古来宗内で〈東朝西隆〉と称され,著述三百数十巻に及んだ。【藤井 学】。…

※「東朝西隆」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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