世界大百科事典(旧版)内の東求堂同仁斎の言及
【東山文化】より
…これには〈ひえやせる〉〈ひえかれる〉といった枯淡の美を唱えた連歌師心敬の歌論の影響が大きいが,こうした傾向は文芸,芸能の各分野にわたっており,この時期はいわば文芸理念の形成期であった。義政の営んだ東求堂(とうぐどう)同仁斎が四畳半という小書院であったのも,こののち16世紀に展開する四畳半志向のさきがけをなすもので,書院茶の湯から草庵茶の湯への過渡期の産物といえる。その意味で東山時代の文化は,室町(北山)文化と戦国(天文)文化の間に位置する,過渡期の性格をもつ文化であったことにも留意する必要がある。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」