松前三湊(読み)まつまえさんそう

世界大百科事典(旧版)内の松前三湊の言及

【江差[町]】より

…アイヌ語の〈エサシ(岬)〉の意といわれる。集落の成立時期は定かでないが,1678年(延宝6)松前藩がアッサブの檜山管理を目的に同地に檜山番所を設けて以来,ヒノキ材の搬出港として徐々に発展し,元禄期(1688‐1704)以降江差近在でのニシン漁業の発達に伴い人口の急増をみ,18世紀初頭ころには,城下町福山(現,松前町)に次ぐ港町へと成長し,松前三湊(福山,江差,箱館)の一つに数えられるに至った。その後もニシン漁業を背景に経済的発展をみ,〈江差の五月は江戸にもない〉といわれるほどのにぎわいをみせたが,明治以降はニシン場の北上などに伴いしだいにさびれた。…

【蝦夷地交易】より

… 松前藩は,この独占的交易を実現するため,領域を蝦夷地(アイヌ居住地)と和人地(松前地・シャモ地ともいう,和人の居住地。和人とは,内地出身者をさす北海道史の用語)に区分し,和人地以北の蝦夷地を封建支配者層の独占的交易の場としたうえで,各地に交易場としての商場(あきないば)を設置し,その多くを上級家臣に知行としてあてがい,松前三湊(松前,江差,箱館)に沖口番所を設置して出入り商船,荷物,人物などを取り締まった。松前藩の成立は,アイヌ民族の交易圏を著しく制約し,事実上松前藩,しかも藩主と商場持の上級家臣のみに限定することになったから,アイヌとの交易も,城下でのウイマム(目見得)と蝦夷地商場でのオムシャ(無沙汰の挨拶)ないしは〈蝦夷介抱〉という形態を介して物々交換を軸として行われた。…

※「松前三湊」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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