松平定能(読み)まつだいらさだまさ

世界大百科事典(旧版)内の松平定能の言及

【甲府勤番】より

…これは1796年(寛政8)大手勤番支配近藤政明が山手勤番支配永見為貞とはかって,勤番士とその子弟の教育のため幕府の許可を得て創立した甲府学問所がはじめで,1805年(文化2)大学頭林衡(たいら)によって徽典館と命名され,43年(天保14)に山手勤番支配酒井忠誨(ただみち)・大手勤番支配浅野長祚(ながとし)により学舎を大手門前に新築したものである。また大手勤番支配松平定能(さだまさ)が幕府の内命をうけて着手した《甲斐国志》123巻の編纂事業は,8年の歳月を費やして14年(文化11)に完成したが,甲斐国の地誌として著名である。そのほか勤番士野田成方(しげかた)の《裏見寒話》(1752序)や宮本定正(さだあき)の《甲斐の手振》(1850)が知られる。…

※「松平定能」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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