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松平忠優 まつだいら ただます

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

松平忠優 まつだいら-ただます

松平忠固(まつだいら-ただかた)

出典|講談社
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朝日日本歴史人物事典の解説

松平忠優

没年:安政6.9.14(1859.10.9)
生年:文化8(1811)
幕末の老中。姫路藩主酒井忠実の次男,信州上田藩主松平忠学の養子。のち忠固と改名。天保1(1830)年家督相続。奏者番,大坂城代を経て嘉永1(1848)年老中。徳川譜代としての強い自負があり,「己が心として思い入たる事は,引返すかたなき本性」とは松平慶永の評。ペリー来航後,開国論を主張。また幕府専裁方式を重視して,徳川斉昭の幕政参与に抵抗。斉昭の反発を招き,安政2(1855)年罷免される。同4年9月,斉昭が幕政参与を辞任すると,そのあとを追うように老中再任。井伊直弼の大老就任に尽力。同5年6月,朝廷の同意を不要とし幕府の方針を日米修好通商条約の即時調印に導く。だが朝廷との協調を求めた直弼に疎まれ老中を罷免され,ほどなく没した。

(井上勲)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
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世界大百科事典内の松平忠優の言及

【上田藩】より

…信濃国(長野県)上田に藩庁を置いた譜代中藩。この地方出身の土豪真田昌幸が,1584年(天正12)上田に城を築き,翌年豊臣秀吉に随身することによって領主の地位を安定させた。これが上田藩の起りである。関ヶ原の戦には,昌幸と次男信繁(幸村)は西軍に属し,中山道を進もうとする徳川秀忠軍3万余を釘づけにして武名をあげたが,戦後は紀州の九度山に幽閉され,上田領は長男信之に与えられた。信之は父弟と分かれ,東軍に従って功があったからである。…

※「松平忠優」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社日立ソリューションズ・クリエイト
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