朝日日本歴史人物事典 「松平忠優」の解説
松平忠優
生年:文化8(1811)
幕末の老中。姫路藩主酒井忠実の次男,信州上田藩主松平忠学の養子。のち忠固と改名。天保1(1830)年家督相続。奏者番,大坂城代を経て嘉永1(1848)年老中。徳川譜代としての強い自負があり,「己が心として思い入たる事は,引返すかたなき本性」とは松平慶永の評。ペリー来航後,開国論を主張。また幕府専裁方式を重視して,徳川斉昭の幕政参与に抵抗。斉昭の反発を招き,安政2(1855)年罷免される。同4年9月,斉昭が幕政参与を辞任すると,そのあとを追うように老中再任。井伊直弼の大老就任に尽力。同5年6月,朝廷の同意を不要とし幕府の方針を日米修好通商条約の即時調印に導く。だが朝廷との協調を求めた直弼に疎まれ老中を罷免され,ほどなく没した。
(井上勲)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報