松永惟中(読み)まつながいちゅう

世界大百科事典(旧版)内の松永惟中の言及

【惟中】より

…江戸前期の俳人。宗因門。姓は松永(松長),岡西(岳西)。幼名平吉,のち勝,且。別号は玄旦,庸哉,北水浪士,一時軒,一翁道人,飯袋子等。因幡国鳥取の人。1667年ごろ備前国岡山に出て,藩校の教授を志すが報いられず,余技として始めていた俳諧に望みを託し,75年(延宝3)〈寓言(ぐうげん)〉説によって談林俳諧を裏づけた俳論書《俳諧蒙求(もうぎゆう)》を著して俳壇に雄飛,のち大坂へ移住した。貞門派との論争には常に正面に立ち,《しぶ団(うちわ)返答》(1675),《誹諧破邪顕正(はじやけんしよう)返答》(1680)等を出したが,同門の西鶴らとも対立した。…

※「松永惟中」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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