世界大百科事典(旧版)内の柏崎県の言及
【越後国】より
…67年(慶応3)大政奉還,68年(明治1)戊辰戦争に長岡,村上藩は奥羽越列藩同盟に参加して敗れ(北越戦争),越後は新政府の支配下に入る。71年新潟県と柏崎県を設置。73年柏崎県を,76年相川県を,86年福島県東蒲原郡を新潟県に合併して現在に至る。…
【柏崎[市]】より
…桑名藩領時代の1837年(天保8)6月には生田万(よろず)の乱がおこり陣屋が襲撃されている。文化・文政期(1804‐30)以降,縮行商によって町に活況を生じ,明治維新後柏崎県が置かれた。【土田 隆夫】。…
【新潟[県]】より
…江戸時代末期,越後には高田藩,新発田(しばた)藩,長岡藩をはじめ,三根山,村上,村松,椎谷,与板,糸魚川(いといがわ),黒川,三日市の11藩が置かれていたほか,新潟をはじめとする天領,預地,旗本領飛地が入り組んでおり,金山のあった佐渡は天領であった。1868年(明治1)越後の旧天領を管轄するため新潟裁判所が置かれ,まもなく越後府,新潟府と改称して北部を,新設された柏崎県が南部を管轄した。一方,佐渡には佐渡裁判所が置かれたが,その後佐渡県となり,さらに新潟府に併合された。…
※「柏崎県」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」