柱心包様式(読み)ちゅうしんほうようしき

世界大百科事典(旧版)内の柱心包様式の言及

【高麗美術】より

…また,鳳停寺極楽殿の頭貫(かしらぬき)木鼻を垂直に切った形式や,母屋桁(もやけた)下の架構の発達などは遼代建築の影響といえ,肘木(ひじき)繰形の形式には南宋伝来の天竺様の影響が認められる。このように高麗建築は,新羅時代に定着した唐様式を基本にして,新たに中国建築様式を採り入れて,朝鮮独得の建築様式である柱心包様式を確立している。さらに高麗末期,元王室から降嫁を受けるようになって,宮殿建築に元の様式が導入された。…

【寺院建築】より

…新羅以来の伝統様式の上に新しく中国の建築様式を採り入れて折衷様化を図り,日本の折衷様式と同じ経過をたどっている。この様式は斗栱の組み方から柱心包様式と呼ばれ,前記2例に続く例に修徳寺大雄殿(1308),江陵密舎門(14世紀),成仏寺極楽殿(1320ころ),浮石寺祖師堂(1377),道岬寺解脱門(1473),無為寺極楽殿(15世紀),松広寺国師殿(15世紀)などがある。 高麗時代末期には元の支配を受け,元の建築様式を導入して多包様式が成立した。…

【李朝美術】より

…しかし,壬辰・丁酉倭乱で大半は焼失し,現存宮殿はその後に再建されたものである。 壬辰・丁酉倭乱以前の李朝前期の建築は,高麗末期に元から導入した多包様式(斗栱(ときよう)の一形式で,柱頭はもとより柱間にも斗栱をおき複雑でにぎやかな外観をつくる)のものが,柱心包(ちゆうしんぽう)様式(柱頭のみに斗栱をおき柱間には間斗束をおく。肘木(ひじき)には刳形(くりかた)が入る)の建物とともに盛んに建てられた。…

※「柱心包様式」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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