世界大百科事典(旧版)内の柳町遊郭の言及
【遊郭(遊廓)】より
…しかしそのときに建設されたのは瓢簞町(ひようたんまち)で,後に市内各所から次々に移住して,佐渡島町,新京橋町,新堀町,吉原町などが追加されており,全体の完成に約30年を要したのは,発足時における集娼制の不徹底さを露呈している。これに対し89年に秀吉が指定した京都の柳町遊郭は,規模は小さいながら集娼制の意図を明白にしており,後に移転を重ねて1640年(寛永17)に島原遊郭が成立している。江戸は徳川氏になってから1617年に傾城町の建設が認められたもので集娼制はいっそう明確であり,57年(明暦3)に浅草の新吉原へ移転したものが幕末を経て昭和まで存続した。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」