世界大百科事典(旧版)内の柴原氏の言及
【能登国】より
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[題目と禅と念仏]
鎌倉後期の能登国では,石動(いするぎ)山の修験道信仰などが主潮をなしていたが,やがて鎌倉新仏教の伝播もはかられた。1294年(永仁2)日蓮の高弟日朗門下の肥後房日像が能登に巡錫(じゆんしやく)し,日像に帰依した羽咋郡甘田保柴垣の領主柴原氏一族が滝谷法華堂を建立したと伝えられ,これが後に妙成(みようじよう)寺に発展し,能登における日蓮宗弘通の拠点となった。禅では,1313年(正和2)瑩山紹瑾(けいざんじようきん)が羽咋郡中河の地頭酒匂(さかわ)氏一族の外護を得て,鹿島郡酒井保の山中に草庵を結び,この草庵は永光(ようこう)寺となった。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」