栗崎流外科(読み)くりさきりゅうげか

世界大百科事典(旧版)内の栗崎流外科の言及

【栗崎道喜】より

…肥後国出身。幼時長崎に移住,のち南蛮人に伴われて南蛮国(フィリピン?)に渡り外科術を修得して長崎に帰って栗崎流外科の開祖となった。長男正勝は2代道喜を名乗り越前(福井)藩に召され,四男正家(道有)が栗崎家3代を継ぎ長崎に住み,それぞれ栗崎流外科を発展させ,その門流は金創を得意とし,各藩に召されて南蛮流外科の有力な学派となった。…

※「栗崎流外科」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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