世界大百科事典(旧版)内の桑原富春軒の言及
【いけばな】より
…元禄期の井原西鶴が,〈立花は宮,御門跡がたの手業なり〉とし,近年は町人たちが立花を習い覚えて,接木の椿の枝をもぎとったり,鉢植えのウメモドキをひき切り,霊地の荷葉を折ったり,神山の杉を取り寄せたりするわがままのふるまいは,〈草木心なきにしもあらず,花のうらみも深かるべし,是只一日のながめ,世のつひえなり〉と,この立花流行を批判するほどのものであった。こうした立花の盛行期には多くの立花師たちが輩出し,大住院以信,高田安立坊周玉,桑原富春軒仙渓など専好の門人たちが活躍した。出版活動としての立花の教導書の刊行や立花図の作品集的刊行も多く,十一屋太右衛門による《立花(りつか)大全》や,富春軒による《立華時勢粧(りつかいまようすがた)》をはじめ,立花愛好者たちの需要にこたえた刊本が数多く出版されている。…
【花道】より
…江戸時代から使われていたいけばなの総称で,様式語としての立花(りつか),抛入(なげいれ)花などのすべてを含む。華道とも書く。芸道における〈道〉の意識の成立は中世以来のものであるが,秘伝奥儀などを習得するための修練を強調する求道的精神から歌道,茶道,香道などと等しく造語されたもの。その初見は1688年(元禄1)刊行の桑原冨春軒の《立華時勢粧(りつかいまようすがた)》に,〈花道を鍛練して〉とか〈花道の奥儀〉〈花道第一の秘儀〉などとして使われ,また編者不明だが,1717年(享保2)刊の立華と生花(いけはな)の書は《華道全書》という題名がつけられている。…
※「桑原富春軒」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」