世界大百科事典(旧版)内の桜屋の言及
【土佐国】より
…文政年間(1818‐30)高知城北麓の尾土(小津)から西南郊外の能茶(のうさ)山に移り,能茶焼として今日に伝わる。米の二期作普及に貢献したという石灰の製造は,享保年間(1716‐36)城下の商人美濃屋と大和屋が下田村稲生(いなぶ)(現,南国市)で始め,文政年間,桜屋が乗り出して以来大いに発展した。桜屋は阿波伝来の本式かまどを採用して上方市場で評価を高め,近村の農家に肥料としての効能を説いて市場拡大につとめた。…
※「桜屋」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」