世界大百科事典(旧版)内の梶原金八の言及
【時代劇映画】より
… 稲垣浩や山中貞雄と多く組んだ脚本家は三村伸太郎で,小市民的感覚によって自由人としての股旅やくざ像を造型した点に特色がある。当時,京都の鳴滝に住んでいた三村伸太郎,稲垣浩,山中貞雄,八尋不二,滝沢英輔,藤井滋司,土肥正幹,萩原遼の8人は,鳴滝組と称し,梶原金八という共同ペンネームのもと,数々の新しい時代劇の脚本を書いた。彼らの作品の多く,とりわけ伊丹万作,山中貞雄の作品は,時代劇すなわち剣戟映画というイメージを打破するものであり,現代的な知性と感覚で人間を描いて〈髷をつけた現代劇〉といわれるとともに,映画的表現においてきわめて高いものであった。…
【鳴滝組】より
…昭和10年前後(1934‐37ころ)に京都の鳴滝の住人だった映画監督,脚本家のグループの名称。山中貞雄,稲垣浩,滝沢英輔,荒井良平,土肥正幹,三村伸太郎,八尋不二,藤井滋司の8人が〈梶原金八〉というペンネームで新しい自由な映画づくりをめざしてシナリオの合作や共同製作を行った。その意味では戦後のフランスの〈ヌーベル・バーグ〉,とくに映画研究誌《カイエ・デュ・シネマ》の批評家出身のグループに似た存在であったかと思われる。…
※「梶原金八」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」