世界大百科事典(旧版)内の森平右衛門の言及
【出羽国】より
…これに対して,18世紀中ごろ以降に行われた米沢藩,秋田藩,庄内藩などの藩政改革は有名である。 米沢藩では宝暦末年,郡代森平右衛門が財政の再建と農村の復興のために支配機構の改革などを試みたが,藩政内部の対立で失敗した。そのあとに断行した明和・安永の改革は,新藩主に15歳の治憲(鷹山)を迎え竹俣当綱(まさつな)を中心とする改革派グループによって進められた。…
【藩政改革】より
…彼が米沢に入部し,前藩主重定に代わって家督を継いだのは1767年(明和4)であった。その時期に藩政を壟断(ろうだん)していたのは森平右衛門と,その一族,および前藩主重定の側近たちであった。これに対して,治憲を擁立するグループは江戸詰家老の当綱を柱としていた。…
※「森平右衛門」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」