世界大百科事典(旧版)内の椎名康胤の言及
【越中国】より
…天文年間(1532‐55)には神保長職が登場して富山城に拠って神保氏を再興し,新川郡の椎名氏と対立することになった。長尾為景の没後その子輝虎(上杉謙信)も越中を制圧しようとし,62年(永禄5)には神保長職を破るが,68年椎名康胤が武田信玄,本願寺と結んで輝虎から離反すると,逆に長職は輝虎と結んだ。翌年輝虎は松倉城の椎名康胤を攻め,魚津城に河田長親をおいて越中侵攻の拠点とした。…
※「椎名康胤」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」