世界大百科事典(旧版)内の椿新田の言及
【椿海干拓】より
…しかし椿海を用水源とする沿岸村々は反対運動を起こし,また白井も資力が続かず脱落し工事は中止された。辻内は一人での請負を再出願,鉄牛和尚らの助力により許可を得,江戸材木商野田屋,栗本屋を下請けとして工事を再開,1670年新川を完成し排水を開始すると大洪水となって川沿いの村々に大被害を与えたが,徐々に排水された湖底は水田化され,95年(元禄8)に総検地があって椿新田18ヵ村2万0441石余が誕生した。1743年(寛保3)には2万2072石余となり,のちに〈干潟八万石〉と呼ばれた。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」