世界大百科事典(旧版)内の楚雄府の言及
【楚雄】より
…もともとは爨(そう)と呼ばれた西南異民族の居住地であったが,南北朝時代には中央との交流も盛んになり,漢民族の進出も始まっていた。その後,南詔,大理など辺境国家の境域になっていたが,元代に雲南省が置かれると中央統治の中にくみこまれ,威楚路が置かれ,明初には楚雄府と改められ,県は付郭県として周囲の地域の中心都市となった。解放後1958年,楚雄府と武定府(現,武定県)の領域を合して楚雄イ族自治州が作られ,楚雄がその中心となった。…
※「楚雄府」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」