世界大百科事典(旧版)内の正平韋の言及
【染韋(染革)】より
…それらの染韋のうち,藍韋,小桜韋などは威毛(おどしげ)に,五星韋は小縁に,菖蒲韋は化粧板に,絵韋は弦走(つるばしり),金具所の包韋として使われた。絵韋にはその文様に時代的変化があって,平安時代末から鎌倉時代初めにかけては襷入(たすきいり)の窠文(かもん)や獅子円文,鎌倉時代には襷文にかわって獅子牡丹文,菊枝文,不動三尊文などの絵画的文様がおこなわれ,南北朝以降は獅子牡丹文が小型になり形式化した藻獅子の韋が生まれ,また正平6年(1351)の年紀を染めた正平韋などがつくられた。近世には武家や庶民の間で用いられた巾着(きんちやく),鼻紙袋,煙管(きせる)袋の類に染韋が応用され,京都,大坂,姫路でそれらの染韋がつくられたが,明治時代にはいってから東京駒込の小林総斎,小伝馬町の稲塚米吉らの工人によってもつくられるようになった。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」